死の一歩手前の人

かんぜんに手詰まり。今日は、3回目のオナニーをした。今回は1回におさえたが、それでも体の倦怠感にくわえ、首周りに軽い筋肉痛を覚える。I先生は、「死んだらあかんで、死ぬようなことじゃない」と言ってくれた。マスクに隠れていない自分の目が、表情が、それほど鬼気迫ったものだったのだろう。実さい、そういう心境だった。血液検査はまるで問題なし。尿検査も同様。両親は、いちど、人間ドックにでも行けば、と言ってくれたが、これはそういうものではないだろう。だいたい、異常があるといっても、人間ドックは治療を行なってくれるわけではない。……今日は、街の北側にある、美術館のまわりを歩いて回った。歩数計をつけて歩いた。6200歩ジャストだった。いや、正確には、歩数計をつける前に26歩、カウントがされていたので、6174歩になる。1日、8000歩程度歩けば健康にいいそうだ。自律神経も整えられるという。………。この症状は、自律神経とか、関係あるのだろうか?全く何もわかっていな症状である。I先生は、「これとは違うと思う」と言った。自分が持参した、ポイズに関するネットコラムや記事のプリントに対してだ。それは、そう思うだろう。内科でも見せたことがあるが、「これ、日本に数人とかってやつでしょう?」と、まるで考え過ぎ、とでも言いたげな感じだった。どれだけ物珍しい病気だろうが、罹患者のひとりと思しき患者が目の前にいるのに。確かに、確率で考えれば、「そうじゃない」確率のほうが、ずっと高い。では、なんの病気か?……ここに答えがない。泌尿器科のI先生は、さんざんわけのわからない話をしたあげく、「お手上げ」といった。しかし、理の通ることも言った。いわく、あなたが見せた記事には論文の出典があるが、これだけはなんとも言えない。論文の内容を精査して、これは確かに正しい、といったエビデンスがない限り、あなたにどうこう言ってあげられない、と。医者とはそういうものだと。「どうしてほしい?」と言われた。逆に。自分は困り果てた。どうしてほしいって、そりゃ、どうにかしてほしい。治せるんなら、なんでもいい。しかし、それもわからない。お互い手詰まりで、しかし向こうは、そこまで深刻さを見せなかった。「とりあえず調べる時間をくれ」、と言われた。了承するしかなかった。今のままでは埒が明かないし、自分はといえば、すっかり絶望の底だった。正直、あまり期待はしていなかったが、それでも、一縷の希望を抱かずにはいられなかった。「あぁ、これは○○ですね」「この薬を処方しときますんで、大丈夫ですよ」とか言って欲しかった。自分の、単なる勘違いであってほしかった。しかしそうはならなかった。

さて、自分は無職である。無職がネットで時間を潰すにはどうするか。有料コンテンツには手が出せない。無料コンテンツもたくさん、探せばあるにはあるが、提供されるものなんでも楽しめる、といった雑食志向でもないかぎり、どうしても向き不向きは出てきてしまうものだ。選り好みなんかじゃなく、単純に「見ていて退屈」なのである。……こういう地獄は、11年前にも味わったことがある。来る日も来る日も、社会復帰の目処は立たず、また、手続きをひとつするのも数日単位で待たされるので、そのあいだ、家で何をするかといえば、……何もない。時間が、経たない。1分は10分に、1時間に感じる。無限に伸びていく時間。気が狂いそうだった。いや、実際、よく無事だったな、と思う。バイトでもしろよ、とお思いの方はたくさんいらっしゃると思う。自分も、振り返ってみればそう思う。職歴の足しにはならないまでも、時間はつぶれるし、多少なりとも収入がある。それで娯楽を楽しむなり、なんなり、すればよかった。でも、二の足を踏んでしまった。そもそも、学生時代にアルバイトをしたことすらなく、社会に対する恐怖心があったのだと思う。滑稽だろうが、なんとか働かずに日々をやり過ごす方法はないものかと、必死になってネットを探し回った。いくつかは、実際に役立った。タンブラーもそのひとつだ。タンブラーというより、エロコンテンツこそが偉大だった。好きなエロ画像、かわいい虹絵のちょっとエッチな画像なんかを、次々にスクラップしていたった。自分の好みの画像しかないブログが出来上がっていく過程は楽しいし、他人のブログを見て、こんな投稿をリブログしているのか、とか、そういう楽しみもあった。だが、それももうできない。興奮剤としての属性の強い虹イラストなんて、今の自分からすれば拷問のようなものだ。興奮して、ちんちんが勃っても、射精したら、また地獄がやってくる。たかが倦怠感、と思われるかもしれないが、これは結構辛い。突発的に訪れるのでもなく、トリガーがはっきりと「オナニーで射精したら」と決められているので、なんだか、そういうコンテンツ自体と距離を置くようになってしまい、しかし、だいたい2次元のコンテンツというのは、ファンの耳目を引くために扇情的なエッセンスを取り入れているものである。…………。オタクにとって、この病気は死刑宣告にひとしい。実際、そのような気分だ。正直、もう死にたい。今だって、時間を完全に持て余し、こんな駄文を書き殴っている。アウトプットはストレス解消にも有効だそうだ。書いていて、気分が晴れやかになってきたか、といわれれば、特別そうでもない。さきほど抗不安薬を飲んだので、少しはそれも効いているかもしれない。だが、一時的なものだ。この絶望は、この先ずっと続く。I先生は、「そのうち治るのか?」というこちらの問いに賛同してくれた。根拠もないのにね。患者を安心させるためだろうか。だが、もう1週間以上経つというのに、このおかしなアレルギーにも似た症状は、まるで治らない。いや、オナニーさえしなければ、普段と変わらない。だが、もう虹コンテンツに積極的には関われない、という暗澹とした絶望感だけが日中、ずっと心に深い、深い影を落とし、これは晴れることがない。そういえば、深夜に起きていることもなくなった。起きていても、やることがないから。早々に寝ることにした。だが、眠れない。床について、30分、1時間、2時間、ずっと起きている。喧騒も、家の中もずっかり静かになって、ひとり覚醒を続ける意識の中、心の中には、ただ果てしのない悲しみと、こういう人生であることの怒りと、ネガティヴな感情が轟々と渦を巻いて、目からは滂沱の涙として枕を濡らしている。どうして、まだ自分は死んでいないのだろう。もう、いつ死んでもおかしくない。それくらい追い詰められているんです。助けて。もう心が保たない。死ぬ。マジで死ぬ。限界。どうしよう。どうすればいい?お願いします。助けてください。